カンボジアでは90分に一人が地雷で四肢を失っていると聞いて、日本では17分に一人が自ら命を絶っていることが脳裏を過ぎった。前者は悲劇とされて後者は自己責任で切り捨てられる。
あらすじ:オフ会にきたキモオタの写真を内輪で晒して笑い者にしてた女が同僚の親が自殺したとかで生命賛歌をしてたので胸糞悪くなりました。
オーケンがラジオで言ってた「陽のあたる道を歩いている人への応援歌は世に溢れているのに、陽のあたらない道を歩んでいる人への応援歌がない。本当に応援が必要なのは彼ら彼女らなのに。」と言う言葉が嘘でも嬉しい。で、そういう人への応援歌を「がんばれ」と言う言葉を使わずに作ったのが蜘蛛の糸。
去年、とうとう母親に「お前を産んだ事は間違いだった」と言ってもらうことができた。それまでは理解できないし、しようともせずに逆ギレする始末だったけど、ようやく、ようやくだった。クソ長かったなあ。ホント良かった。「生まれなきゃ幸せになる必要すらない」がトドメだった。
友達がいる非コミュとか、彼女のいる非モテとか、バイトしてるニートとか、ガチにとっちゃホント風評被害がたまったもんじゃないのでやめてください。ご理解・ご協力をお願いします。
こないだTVみてたら脳神経か何かの教授が「嫌な思い出を長期記憶に残さない為には、嫌な原因になったものに馬鹿だのアホだの罵倒するなどして否定すればいい」と言ってて、なるほどなあと納得した。自意識こじらせてない人は自然とそれをやってのけてるなあ。
20代前半のころ、高校の同級生に別件で誘われてマルチの説明会につれてかれたことがある。会が終わって例によってファミレスで軟禁。「あなたの夢はなんですか?」 ⇒ 「参加すれば叶いますよ!」 と言う目論みだったのだろうが最初の質問で「ないです」っつったら長い沈黙に陥った。どうしろと。
何度でも言おう。子供の為を思うなら産むべきではない4つの理由 1)出生は生まれている人間の一方的な都合で行われる 2)産まれたら必ず死を経験する 3)苦痛は保証されているが幸福はそうではない 4)産まれたくなかったと後悔する主体はあっても産まれたかったと後悔する主体はない
全生命が世界同時多発安楽死の暁には酒飲んでお祝いして「よかった、本当によかった、これでもうこの世から苦しみはなくなるんだね!」と喜びを分かち合いたいですね死んでるけど。
なんで構ってちゃんってだけで笑い者にされるんだろうな。自分の命をBETして承認を得ようと思う浅はかさが滑稽なのかな。別にお前が死んでも痛くも痒くもないですけど?みたいな。
小学校入学直後、たまたま聴こえてきた同じクラスの二人の会話に共感して「ぼくもそうおもうー!」的なことを言ったら「「お前に話してねぇーよ!!」」と盛大に拒絶された事を思い出した。俺の何が6歳児をそんなにまで!?
もはや定期POSTだけど、自分が生まれないことで困る人間などひとりもいないし、自分よりも子供の都合を優先して考えていれば自然と産みたくなくなるものだと思う。安楽死は二番目に良いが一番良いのは生まれないことだ。
何かもう、いわゆる「逃げ」が常習化しすぎて意味が分からないのは俺がおかしいからか?誰も得しない自分の人生を棒に振って何故いけないのか?誰かの得になる人生にする必要は?少なくとも俺はしたくないんだけど、本人の意思は尊重されないの?などなど。理屈じゃ分かっているが感情が妨害する。



倉松鮟人











































































































