死んだ人、別れた恋人、楽しかった思い出、そういうものは動かないはずのものだったけど、ネットっていうどんどん有機的な膨らみ方をしてるものにひとたびそれを放流してしまえば、あるいはって思うこともある。所詮はデータだけど、そんなこと言ったら失われたものに温かみなんてもともとないんだし。
なくなったお店の案内とか、死んだリンクとか、歳を取っていく死人とか、たかだか10年15年でもこんなに混沌としているのだから、もう20年30年と時間が経てば、それこそそれ自体が意志を持ってるんじゃないかってくらいの迷宮になるんだろうな、ネットって。
反射であれしたいこれしたいばっか言ってるのですごくおちつきないやつみたいになりつつありますが、要するにリアルがだだ漏れなだけなのだと思います。
帰ってガンプラの続き作る。帰ってきたら続きをしましょうって別に普通の日本語のはずがエロスな名言みたいに思ってる自分がいる。
ものごとそれ自体ではなく、その魅力を楽しみたい、そういう風に感じる限りこの追っかけ気質めいたものはなくならんのかもしれない。
ツイッターみたいなところでさえ社会性っていうか、ある程度の統率が図られてるところをみるとげんなりするのはやっぱり自分自身に問題があるのだろうか。や、ツイッターみたいな所だからかもしれないけど。
良かれ悪かれ、ヲタクの同族に対する嗅覚っていうのはすごい。さらには自意識があるものだから、愛憎だ。でもそこがいい。自分以外は絶対に認めないっていうことを共通認識にしてればヲタクはヲタクの楽園を生きることができるのだ。たぶん。知らんけど。
あーあそこの新作ね!的な話をしていた友人も大阪で就職が決まって、素直に喜べない自分は10代のままで、20代も半ばに突っ込んだ自分はもうなんか、どうでもいいとかのたまうしかないような。
服が似合うとかおしゃれしたいとかは割とどうでもよくて、人とかぶんなければいいんです。ピンク色とかダブルジップとかアシメとかもんのすごい勢いで流行って10代の頃はもう必死だったような気がします。もうどうもしません。
俺はエコとか割とどうでもよい。ゴミ分別も現実的には馬鹿馬鹿しいと思う。高校時代、高温処理で有害物質とか減らす焼却炉が設置されたが結局は低温のまま処理して前と変わらない煙が上がってて、こういうものでしょ?って思う。



じょぜ





